この世のwannaからmeを守る

この世の罠から身を守る方法を考えていきます。

知識/データに対しての "なにか"

この本を妻、息子たちに捧ぐ、
向こうの本でよくありますよね、こういうおしゃれ。
教える人、書く人ももっと演技力がいるのではないでしょうかね。向こうの本よりかは皮肉とか冗談が少ない感じがします。
代筆とかでプロの表現する人がやっているのかもしれませんが。
知識と表現を離すと、知識はデータでしかなく、誰かの使うデータになってしまう。そこまで経験した/する 機会を勝ち取ったことが凄いとして収入があるとかくらいですよね。訴訟してやっとの青色もあったみたいですが。
本を読んで感想ならよくて丸コピーだめで、 テレビやネット出身ならただなのでオーケーみたいな感じで。受信料かかるテレビから知ったことって一応そう考えると安いのかも(高いのかも)。だけど情報の値段の相場が分かりません(前文も価値によって左右されますね)。そういう相場も需要あるところにはあるのでしょう。
情報がお金になって個人的情報もお金になる、その人毎にお値段も違うのでしょうね。
そういえば通信と情報は二重課金なのだろうか、教えてください。
本の運動などは調べたら過去にありそうですし、CDはいろいろあったみたいですね。
立ち読みで なんとかメモリーの達人が脳裏に焼き付けコピーとか、速読の達人が脳内にコピーとか。きっと未来の人達は頭がいいと思うので、そういう規制も出来るのでしょう。話はそれましたが、
最近はオープンやコモンなんとかで、途中のアイデア/手段は割りとオープンな感じですが、末端の"作品"などはあまりですね。どこにモチベーションを感じてインセンティブふふ、横文字鬱陶しいですね。どこに動機/意欲 を感じて報酬/喜びをどんな形で欲しいのかでしかないのですかね。心なのかお金なのか余裕のある人はそういう人達もいますね。
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photo by cogdogblog
ものごとを最初に発見した人は、やはり偉い人ですね。
何か生み出したいものですよね。

拝読ありがとうございます。
良かったら提言ください。