この世のwannaからmeを守る

この世の罠から身を守る方法を考えていきます。

死にたいピラミッド(人間社会から消えたい)


このブログは“死にたい”とか“致死量”という言葉に興味がある人が見るみたいですが。自分のせいで巡りめぐって影響して死なれると、あの世で『どうして止めてくれなかった』と言われかねます、ですが無責任に『生きて下さい』とは言えません。だから言葉を考えました。
ただ(人間社会から)死んで生きていければ理想的だと思います。



死にたい、けど怖い。この場所に居たくない、つまりは消えたいのだけど、それは安全な社会の檻から出るということ。未開の地で生きる、そうもいかないから、なるべく社会の隅っこで生きていくか、センチネル島にでも行って命懸けで“移民”となるか。
現実的には新天地へ行って(就職して)やり直す、そしてまたストレス感を感じる。これでもまだ現実的じゃない。そうして諦めて、人々は『ストレス解消』に人生を浪費する。



またそういう気持ちが湧いたとき、身体の方が動かなくなる。身体は生きようとしている。それなのに新しい社会脳というものでコントロールしようとする。働いている人はお酒で壊そうとしますね。でもそれはお薬でラリっている(ラリってるの語源ってドラクエの呪文ラリホーなんですかね。わかりませんが)のと同じ現実逃避。
心と身体と脳の区別はつくのかな。寄生獣じゃないけれど、乗っ取られた身体のようで気持ち悪い。 古くはドラゴンボールパラサイトイヴ、子供の頃、人の乗っ取られがなんだかとても不快で気持ち悪かった。理想的にはメンインブラックみたいな脳内コクピットだったらいいですよね。
映画の中の湯川教授が『想いの質量はゼロ』なんていっていたけれど、死んだら思念体にでもなるのかな。臨終のあとは身体が少し軽くなる、なんて迷信的なことが言われていたけれど…。死んだらどうなんて考えれるならまだ大丈夫ってことですかね。
もし綱渡りのような気持ちが安定して、笑顔で日常を送っても、そういう『生きること死ぬこと』は考えるんだろうな。そういう話をネガティブじゃなくてちゃんと話せる友達が欲しかったなあ…。もちろん病気の人の前では話せないけど、少し敏感過ぎると思う。
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太陽は平等に照らすけれど、一般ピープルは檻の中。色んなピラミッド(組織や派閥)の人達に遊ばれている。一般ピーは“数”でしかないんですよね。
マズローのおっさんの考えを借りると、誰かの自己実現欲求で弄ばれたり殺されたりしてしまう。安全欲求ならお互い様や正当防衛とも言えるけど。好奇心や“誰かのせい”をぶつけられるのは理解も共感も呼べない。また生存欲求を満たすための罪を“余裕な人”はどう思うのだろう。
“人の生理的欲求や安全欲求を満たすことが自身の尊厳欲求や自己実現欲求を満たす人間”が居なければただ競って争うの世の中になってしまう。
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無責任に『死なないで(そして社会で生き続けて)』とは言えません。ネット上(言葉)以外で『社会的に死んでも生きられる居場所(法のもとで)』が必要だと思います。
誰かのために死にたくありませんし、誰かのために死にたいです。