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アスペが働かないで生きていこうとしていくブログです。この世のwannaからmeを守る。ちょっとだけごーしちご。

コンプレックスを抱いたらなんでも言い訳できる(天才というものに憧れて)

よかったですね。
僕は/私は〇〇だからと言い訳できる
でもその時間はなんだっていうんだろう。

知っている。こういうのって自分に言い聞かせている裏返しだってことも。
他人は鏡ともいうし、我が振り直せともいう。

他人よりも劣っていると感じたら、それを理由に頑張れたり、言い訳にもできる。その違いはなんだろう。それすらも生まれ持った″才能″というモノ?
(皮肉のようなモノはここまで)


例えば天才という言葉 天賦でもいい。天からの授かり物とされる。
ならばまるで価値はないようなもの。それと同時に、鍛えた人(の能力)を天才と呼ぶのは失礼ではないだろうか。

また授かり物とすれば身体/身長くらいなもので、孔さん(孔子)は天才といえるだろう。もっとも、高身長から来る余裕等と文句はいくらでも言えるだろう。それを言ってしまうともっと惨めなヒトになってしまう。

妬みという形で、直接コンプレックスがエネルギーになることは(たまには妬まれたいものですね)あまりに有名だけれど(フロイトさんとかその辺の精神)それはいい理由/エネルギー原とは言えるだろうか。



わたしわたし可哀想。だから多少他人を傷つけて、なんていいわけない。
当然人である限り、劣等感はとてもナイーブなことで、永遠的な課題というか問題でもある。
それがなければ人は見栄も張らず、飾ることもしないだろう(いい悪いおいておいて)


コンプレックスを言い訳に使うかエネルギーに使うかで、人の人生が大きく違うのでしょう。

そんなこと誰でも知っている。けれど行動に移す人はあまりいない。この事も、
そんなものの一つなんでしょうね。
口よりも足、行うことが大事。というか行うことでやっと1なのでしょうね。



あなたは思ったこと/プロセスを行動でなぞれていますか?
僕は以前より行動的に生きれていると自負しています。(劣等感をエネルギーとして)
また、コンプレックス/劣等感をエネルギーとして使っていますか?



おーちん すぱしーば

ぱ あすぺぎふ